「バイトリーダー理論」が照らす、日本の“賃金不足社会”――弱者叩きが「強者の政治」へ滑っていく仕組み

「バイトリーダー理論」という、ふざけた名前のわりに笑えない概念がある。私がこれを“興味深い”というより“背筋が寒い”と感じるのは、ここに日本社会の病理――低賃金・自己責任・弱者叩きが、どうやって政治や制度の方向性まで歪めていくのか、短い寓話みたいに凝縮されているからだ。

私は以前、労働基準監督官を目指していた立場でもあるので、職場で労働者が「つらく当たられる」こと、過剰な締め付けや理不尽が常態化することを、単なる“現場の空気”として片付けたくない。あれは放置すると、個人のメンタルの問題では済まない。社会全体が、**打倒政治(=強いものがより強くなる政治)**に引っ張られていく。

そして、その入口にあるのが「バイトリーダー理論」だ。


バイトリーダー理論とは何か――「同じ側の人間」を叩き、上に褒められる構造

この言葉は、評論家の町山智浩さんが語ったものとして広まりました。要旨はこうだ。

  • 同じアルバイト仲間が「給料安い、残業多い、割に合わない」と不満を言う
  • すると“バイトリーダー”が「俺はお前らより働いてる。根性がない」と叱りつける
  • 店長(上)がそれを評価し、「優秀なバイトリーダー」として扱う
  • 本来は雇われる側なのに、心の中だけ“雇う側・資本側”に同化する
  • その結果、「弱者救済」や「福祉」に冷たい空気が強まり、自己責任論が幅を利かせる

町山さんの説明は、まさにこの構図を指している。

ここで重要なのは、バイトリーダーが“悪人”だからという話じゃないことだ。むしろ逆で、そうならないと自分が保てない状況がある。

  • 自分も苦しい
  • でも、苦しさの原因(賃金・人員配置・労務管理・景気・制度)を変える力はない
  • せめて“下”を作って優越感を得たい
  • せめて“上”に認められたい
  • せめて「俺は負け組じゃない」と思いたい

その心理が、職場の弱い立場の人に向かってしまう。そして上から褒められることで、その行動が強化される。

これが、**低賃金社会で起きる“横方向の分断”**だ。


「努力が足りない」じゃない。「賃金が足りない」社会で分断が起きる

日本は長く「賃金が上がりにくい国」だった。近年は賃上げの動きもあるが、物価上昇に追いつかず、実質賃金が伸びない局面が続いてきた――というのが、少なくとも近年の大枠だ。厚労省の毎月勤労統計でも、物価を差し引いた実質賃金の弱さが示されている。

さらに国際比較で見ると、“平均賃金水準”という意味での日本の位置は高くない。OECDの平均年収データ(PPP換算の米ドル表示)では、日本は2024年でおよそ5万ドル弱の水準にある。

ここで言いたいのは、「海外の方が偉い」でも「日本はダメ」でもない。ポイントは、賃金が上がりにくい環境では、職場で“連帯”が生まれにくく、“監視と序列”が生まれやすいことだ。

賃金が足りないと、人は余裕を失う。余裕がないと、他人のミスを許せない。許せないと、現場はギスギスする。ギスギスすると、「店のため」「会社のため」の名目で、強い言葉が正当化される。

そしてこの空気が、弱い立場の人に集中する。

  • 非正規
  • 若手
  • 事情があってフルタイムで働けない人
  • 病気・障害・介護・育児を抱える人
  • 声の小さい人

ここに「自己責任」のラベルが貼られ、切り捨てが進む。


それはやがて政治になる――“上に同化する心理”が制度を固める

バイトリーダー理論の怖さは、職場の話で終わらないことだ。

職場で「弱者叩き」が勝ちパターンになると、人はその価値観を社会に持ち出す。すると政治の選択肢がこうなる。

  • 福祉は甘え
  • 生活保護はズル
  • 労働規制は邪魔
  • 最低賃金を上げると企業が死ぬ
  • 税と社会保障は削れ
  • 労働者は自己責任で頑張れ

これらは一見「合理的」に聞こえる。でも実際には、強い側がより強くなるルールを固定していく。

企業の重役や社長、資本を持つ側が、さらに交渉力を強める。労働者側は分断され、賃金交渉力を失う。賃金は上がりにくくなる。するとまた余裕がなくなり、弱者叩きが増える。

地獄みたいな循環だ。


「トリクルダウン」はなぜ“バカみたい”に見えるのか――下に落ちる前に吸い上げられる

ここでよく出てくるのが、トリクルダウンの発想だ。「上が豊かになれば、いずれ下にも滴り落ちる」というやつ。

私はこれを“バカみたい”と思う。理由は単純で、滴り落ちる仕組みが自動ではないからだ。

上が儲かったとき、そのお金が

  • 賃金
  • 設備投資
  • 下請け単価
  • 教育訓練
  • 人員増

に回る保証はない。むしろ、景気不安や競争圧力が強いと、企業は内部留保を厚くしがちになる。現金を溜め込む傾向は日本企業の特徴としてもしばしば指摘される。

つまり「落ちてくるはず」は希望的観測で、制度と交渉力がなければ落ちてこない。

トリクルダウンが成立する条件は、ざっくり言えばこれだ。

  • 労働者の交渉力が強い(労組・労働法制・最低賃金など)
  • 公正な取引(下請け・フリーランス保護など)
  • 税制や再分配が機能する
  • 政府支出が需要を作る

この“条件”を外して「上が豊かならOK」だけ言うのは、そりゃバカみたいに見える。


最低賃金の位置づけを見ると、日本の“弱さ”が見える

賃金の弱さを語るとき、平均賃金だけでなく最低賃金の位置づけを見るのも重要だ。OECDの日本向けノートでは、最低賃金が中央値賃金に対して低い部類にあることが示されている(日本は47%程度、OECD平均は57%といった記述)。

これは「最低賃金を上げれば解決」という単純話ではない。だが少なくとも、最低賃金が低い国では、下の層の賃金が押し上がりにくい。押し上がりにくいと、さっきの“余裕のなさ”が常態化する。

そして、その余裕のなさが「バイトリーダー」を量産する。


労基の視点で言うなら――問題は“根性”ではなく、設計

労働基準監督官という仕事は、労働者を甘やかす役割ではない。現場のルールを守らせることで、労働市場そのものを健全にする仕事だ。

だからこそ言いたい。

「根性がない」ではない。
「設計が悪い」のだ。

  • 人を減らして回す
  • 余裕のないシフト
  • サービス残業
  • 曖昧な指示と責任の押し付け
  • 失敗のコストを現場に転嫁
  • 苦しい人を“自己責任”で切り捨て

この設計がある限り、“バイトリーダー的な役割”は発生する。誰かが現場を締め上げないと回らないからだ。回らない恐怖があるから、締め上げ役がヒーローになる。

そして、そのヒーロー像が社会に拡張されると、政治は「強い者のため」に組み替えられていく。


じゃあ、どうすればいいのか――「連帯」を作るのは制度である

精神論で「優しくしよう」では足りない。制度で余裕を作らないといけない。

  • 実質賃金が伸びる賃上げ(名目だけでなく物価に勝つ)
  • 最低賃金の底上げと、中小企業への支援
  • 下請け・フリーランス取引の適正化
  • 労働時間規制の実効性(名ばかり管理職などの是正)
  • セーフティネットの充実(失業・生活困窮・住まい)

これらは「弱者救済」ではなく、社会の安定装置だ。安定装置があるから、人は他人を叩かずに済む。叩かずに済むから、現場の空気がマシになる。空気がマシになるから、企業も長期的に人を育てられる。

そしてその先に、生産性も消費も投資もある。


結論:「バイトリーダー」は個人の資質ではなく、社会の鏡だ

バイトリーダー理論が示すのは、「性格が悪い人がいる」という話ではない。賃金が低く、余裕がなく、分断が起きやすい社会の鏡だ。

だから私は、この話を“職場あるある”で終わらせたくない。

弱者を叩く空気が広がれば、政治も制度も“強者のため”に寄っていく。
それは結局、ほとんどの人にとって不利な社会だ。

トリクルダウンという夢物語に酔う前に、足元を見よう。
滴り落ちるのを待つんじゃない。賃金が上がる設計を作る
それが、バイトリーダー社会から抜け出す最短ルートだと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました