労働法の原則は明確である。
使用者は、労働者の同意なく一方的に労働条件を不利益に変更できない。
これは契約法の大原則であり、労働法はむしろその原則を強化するために存在している。労働者は使用者よりも交渉力が弱い。だからこそ「合意」が重視される。これが労働法の出発点だ。
しかし日本では、労働契約法10条によって例外が設けられている。
就業規則の変更が合理的であり、周知されていれば、労働者の個別同意がなくても有効となり得る。
ここで使われるのが「合理性」という言葉である。
だが、この合理性とは何か。
裁判所は、
- 経営上の必要性
- 不利益の程度
- 代償措置の有無
- 労使交渉の経緯
などを総合考慮するという。
一見、バランスの取れた判断に見える。
だが、私は問いたい。
その「経営上の必要性」は、本当に経営の問題なのか?
エッセンシャルワーカーの矛盾
運送、医療、介護、福祉――
これらは典型的なエッセンシャルワークである。社会インフラそのものだ。しかも多くは公的報酬制度のもとで運営されている。
- 医療は診療報酬制度
- 介護は介護報酬制度
- 障害福祉も公定価格
- 運送も規制産業
これらは完全な自由市場ではない。政府が価格を決め、制度設計を行い、補助金を出し、規制をかけている。
つまり「経営状況」は純粋な民間企業の自由競争の結果ではない。
政府の制度設計の結果である。
もし病院が赤字なら、それは診療報酬体系の問題である可能性が高い。
もし介護事業所が賃金を上げられないなら、それは介護報酬が低いからだ。
もし運送業が疲弊しているなら、規制と価格競争の構造が原因だ。
にもかかわらず、裁判ではこう言われる。
経営状況が厳しいから、不利益変更は合理的である。
これは本末転倒ではないか。
同一労働同一賃金の副作用
パート・有期労働法8条は、不合理な待遇差を禁止する。
理念は正しい。
しかし、是正方法について方向性は示されていない。
結果として、
- 非正規を引き上げるのではなく
- 正規の手当を削ることで調整する
という「下方平準化」が起き得る。
これは平等の実現なのか。
違う。
これは単なる再分配である。
しかも総人件費が増えなければ、マクロ需要は増えない。
消費は拡大しない。
エッセンシャルワーカーの社会的評価も上がらない。
これは経済合理性の観点からも疑問である。
ドイツとの比較
ドイツでは、不利益変更は原則として個別同意が必要だ。
変更解約(Änderungskündigung)という厳格な手続を取らなければならない。
つまり、
不利益変更は「解雇に近い重大行為」
と位置付けられている。
一方、日本は「合理性」で処理する。
この差は大きい。
日本の合理性判断は、実質的に経営裁量を広く認める方向に働いている。
本当の問題はどこにあるのか
エッセンシャルワーカー分野は、市場任せではない。
政府は価格を決め、制度を作り、財源を配分する力を持っている。
ならば、やるべきことは明確だ。
公定価格を引き上げることだ。
診療報酬を上げれば、医療従事者の賃金は上げられる。
介護報酬を上げれば、介護士の待遇は改善できる。
物流規制を見直し、適正価格を担保すれば、運送労働者は救われる。
それをせずに、
経営が厳しいから合理性あり
とするのは、責任転嫁である。
「合理性」という言葉の空虚さ
合理性という言葉は便利だ。
だがそれは、価値判断を隠す言葉でもある。
合理的とは誰にとっての合理性なのか。
- 企業にとってか
- 労働者にとってか
- 社会全体にとってか
この区別が曖昧なまま、裁判は進む。
しかしエッセンシャルワークの分野では、社会全体の合理性を無視できない。
コロナ禍で明らかになったはずだ。
医療崩壊は市場の問題ではない。
国家の問題である。
政府の責任
政府は財政政策を通じて賃金を押し上げることができる。
実際、
- 公共事業単価は引き上げられる
- 防衛費は倍増できる
- 補助金は迅速に出せる
ならば、なぜエッセンシャルワーカーの賃金は構造的に低いままなのか。
ここに政治の意思が現れている。
そしてその結果生じた「経営悪化」を理由に、不利益変更を容認する。
これは二重の責任放棄である。
労働法の原点に立ち返るべきだ
労働法の本来の趣旨は、
労働者の生活の安定を守ること
である。
使用者の都合による一方的変更を制限することは、その核心だ。
エッセンシャルワーカー分野においては、なおさらである。
なぜなら、そこは公共性が極めて高いからだ。
市場の失敗を補うのが国家の役割であるならば、
国家が関与している分野で賃金が抑制されるのは、政策の失敗だ。
結論
「合理性」という抽象語の背後に、政治責任が隠れている。
エッセンシャルワーカーの待遇改善は、
- 企業内部の調整問題ではない
- 労使交渉の問題でもない
- 国家の財政政策の問題である
不利益変更を容認することで均衡を取るのではなく、
政府が制度設計を改め、財源を投入することで解決する。
それこそが、
労働法の原則
同一労働同一賃金の理念
そして経済合理性
を同時に貫く道である。
合理性を語るなら、
まず国家の合理性を問うべきだ。
そこから議論を始めなければならない。

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