開票立ち会いで感じた「不正が入り込めない構造」という現実

前回の記事では、開票立ち会いという現場に実際に身を置いたことで、
選挙の重みや票の積み上がり方を肌感覚として理解できた、という話を書いた。

今回は、もう一つ強く感じたことについて、
丁寧に言葉にしておきたいと思う。

それは――

少なくとも私が立ち会った開票所において、
不正が入り込む余地はほとんど感じられなかった

という事実だ。


外から見ていた時には分からなかった感覚

これまで選挙について語るとき、
制度論や不信感、あるいは不透明さをめぐる議論を
耳にする機会は少なくなかった。

しかし実際のところ、
私は「開票作業の現場」を自分の目で見たことがなかった。

つまり――
体験の裏付けがないまま、
イメージだけで語られている部分
があったのだと思う。

今回、初めてその現場に立ち会い、
率直に感じたのは次の一点だった。

ここまで厳密に管理されているのか。

この驚きは、
現場に行かなければ決して得られなかった感覚だ。


投票箱の段階から始まる厳重な管理

まず印象的だったのは、
開票所に届く投票箱そのものの管理の厳しさである。

投票箱は、
単に封がされて運ばれてくるわけではない。

複数の南京錠によって厳重に施錠され、
外部から容易に手を加えられない状態で
開票所へと届けられる。

この時点で既に、
恣意的な操作が入り込む余地は
極めて小さくなっている。

制度として知識では理解していたが、
実物を目の前にすると重みが違う。

「守られている」という事実が、
視覚的に伝わってくるからだ。


機械による計数、しかも複数系統

次に行われるのが、
電子機械による票数の計算である。

ここでも印象的だったのは、
単一の機械に依存していない点だ。

複数の異なるメーカー、
複数の計数システムを用いて、
結果を突き合わせながら確認していく。

これは言い換えれば、
一箇所の不具合や恣意性では
結果を左右できない設計
になっているということだ。

冗長性を持たせることで、
制度的な信頼性を高めている。

この徹底ぶりは、
現場に立って初めて実感できた部分だった。


最後は必ず「人の目」で確認される

そして最終段階では、
人間の手による確認作業が行われる。

どれほど機械化が進んでも、
最後は人が見る。

この構造は非常に重要だと感じた。

なぜなら、
完全な機械任せでもなく、
完全な人任せでもない。

相互に補完し合う仕組みになっているからだ。

  • 機械は大量処理と正確性を担う
  • 人間は最終判断と異常検知を担う

この二重構造によって、
信頼性はさらに高められている。


それでも存在する「無効票」という現実

もちろん、
すべてが完全無欠というわけではない。

無効票が有効票の中に紛れ込む可能性は、
理論上ゼロではない。

実際、
解釈の余地が生まれる記入も存在する。

しかし重要なのは、
それが組織的・大規模に行われる余地である。

現場の構造を見た限り、
当落に直接影響を与える規模で
意図的操作を行うことは、
極めて困難だと感じた。

ここには、

  • 多重チェック
  • 立会人の相互監視
  • 手続きの公開性

といった要素が重なっている。

つまり問題は、
「理論上ゼロかどうか」ではなく、

現実的に可能かどうか

という点だ。

その観点から見れば、
開票所における不正の余地は
かなり小さいと言わざるを得ない。


現場を知ることの意味

今回の経験を通じて、
改めて強く思ったことがある。

それは――
現場を知らずに語ることの危うさだ。

疑問を持つこと自体は、
民主主義において重要である。

しかし同時に、
制度がどのように運用されているかを
自分の目で確かめることも同じくらい重要だ。

今回、
開票立ち会いという立場で
そのプロセスを間近に見たことで、

漠然とした不信感ではなく、
具体的な理解へと
認識が変わった気がしている。


民主主義は「手間」で守られている

開票作業を見ていて感じたのは、
民主主義とは決して効率的な仕組みではない、
ということだった。

むしろ逆だ。

  • 何重もの確認
  • 複数系統の計数
  • 人手による最終チェック

こうした膨大な手間によって、
信頼が支えられている。

効率だけを求めれば、
ここまでの工程は不要かもしれない。

しかし、
信頼を守るためには必要なのだ。

民主主義とは、
ある意味で非効率を引き受ける制度なのだと、
現場に立って初めて理解できた。


体験によってしか得られない確信

今回の結論は、
決して大げさなものではない。

ただ一つ、
静かな実感として残っている。

少なくとも私が見た開票所では、
不正が入り込む余地はほとんど感じられなかった。

この感覚は、
資料や議論だけでは得られない。

実際にその場に立ち、
時間を共有し、
工程を見続けたからこそ生まれたものだ。


これからも、
こうした「現場でしか分からないこと」を、
一つずつ言葉にしていきたいと思う。

民主主義を語るなら、
まずはその現場を知ることから。

その当たり前を、
今回の経験は静かに教えてくれた。


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https://rei-voice.com/

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