※本記事にはアフィリエイトリンクを含みます。リンクから商品を購入すると、私に報酬が発生する場合があります。
前回は『茶番選挙』を、
後任争いや人事の論理という視点から読んだ。
そこでは、政治が理念だけで動いているわけではなく、
かなり生々しい利害調整の上に成り立っていることが見えてきた。
今回は、もう少し違う角度から書いてみたい。
この本を読んでいて、私が強く引っかかったのは、
候補者選考のドロドロそのものよりも、
むしろ国会議員とは何を代表する存在なのかという点だった。
憲法では「全国民の代表」。
でも現実には、選挙区や地域から選ばれて国会に行く。
この二つは、本当にきれいに一致しているのか。
私はここに、かなり大きな違和感を持った。
■憲法では「全国民の代表」とされている
日本国憲法第43条では、
両議院は「全国民を代表する選挙された議員」で組織されるとされている。
また第41条では、国会は「国権の最高機関」であり、「国の唯一の立法機関」と定められている。
つまり建前としては、国会議員は特定の地域や集団だけではなく、全国民を代表する存在だということになる。Source
ここだけ読むと、話はわりときれいである。
なるほど、国会議員は全国民の代表なのか。
では、地域代表という感覚は薄いのか。
……いや、そんなことはない。
現実の政治を見れば、そうは見えない。
※なお、憲法41条の「国権の最高機関」は通説・政府見解では政治的美称とされるが、43条の「全国民を代表する」は、議員が特定選挙区の代理人ではなく全国民全体のために活動すべきことを示す規範として理解されている。ってことは一応知っているんですが、、、
■でも現実には、地域から選ばれている
実際、衆議院議員は小選挙区選出議員と比例代表選出議員から成っている。
つまり制度として、国会議員は具体的な地域やブロックを通じて選ばれている。Source
だから有権者が
「うちの地域のことを国会でちゃんと訴えてくれ」
と思うのは、ものすごく自然だ。
というか、当然だと思う。
広島から出るなら広島のことを。
福岡から出るなら福岡のことを。
北海道から出るなら北海道のことを。
それを中央に持っていく。
これは何もおかしくない。
むしろ、そういう期待込みで投票している人は多いはずだ。
広島の票で当選したのに、
広島のことをよく分かっていません、でも私は全国民の代表です、
と言われたら、そっちのほうが怖い。
それはもう政治家というより、
地域限定ガチャで引いたSSR全国民代表である。
いや、レア度は高そうだけど信用はしづらい。
■私の違和感は、「地域代表」であることを否定する空気のほうにある
ここではっきり書いておきたい。
私は、国会議員が各地域の利害関係も代表しているということ自体を、
悪いことだとはまったく思っていない。
むしろ、それは立派な仕事のひとつだと思っている。
それが民主主義だろう、と私は思う。
地域ごとに事情は違う。
産業構造も違う。
抱えている課題も違う。
必要としている政策も違う。
ならば、その違いを背負った代表が国会に行って、
それぞれの地域の声を持ち寄る。
これは民主主義の欠陥ではなく、
民主主義が現実社会に根を張るための機能のひとつではないか。
私はそう考えている。
だから、「地域の利害を持ち込むなんてけしからん」
みたいな話になると、
いや、ちょっと待て、と思う。
それをやめたら、
今度は逆に誰がどこの現実を背負って政治をやるのかが分からなくなる。
地域を代表すること。
地元の声を届けること。
それ自体は、まったく悪ではない。
ここはかなり強く言いたい。
■問題は「利害」があることではない
私は昔から、「利権」という言葉があまり好きではない。
というか、かなり嫌いだ。
なぜか。
この言葉は、
本来それぞれの人が持っている生活上の利害まで、
まとめて後ろ暗いもののように見せてしまうからだ。
でも、現実には
利害を持っていない人なんていない。
パン屋にはパン屋の利害がある。
農家には農家の利害がある。
運送業には運送業の利害がある。
子育て世帯には子育て世帯の利害がある。
地方都市には地方都市の利害がある。
当たり前である。
というか、それがないと生活できない。
生活している以上、
人は何らかの利害を持つ。
だから、利害を持つことそれ自体を
悪いものとして語るのは、私は違うと思っている。
悪いのは、利害があることではない。
どの利害を、どんな理屈で、どのように政治に反映させるのか。
そこが問題なのだと思う。
ここを雑にして、
何でもかんでも「利権政治」とひとまとめにしてしまうと、
話が一気に浅くなる。
パンを売ってる人が
「小麦価格が厳しいです」
と言うのも利害である。
地方の病院が
「医療体制を維持する予算が必要です」
と言うのも利害である。
それを全部ひっくるめて
「はい利権」
と片づけるのは、さすがに乱暴すぎる。
雑すぎて、もはや包丁ではなくチェーンソーである。
■私が違和感を持つのは、「取り合いでしかない」と考えてしまう発想だ
そして、もう一つ大きいのがここだ。
私は、国の予算を
家計簿みたいな「限られた財布」として見る考え方を取っていない。
少なくとも私の立場では、
**予算は“ない”のではなく、“出していないだけ”**である。
だから本来、
地域の声を政治に反映させることが、
ただちに
「どこかから奪ってこなければいけない取り合い」
になるとは思っていない。
にもかかわらず、
世の中にはその前提が共有されていない。
そこが問題だと私は思っている。
みんなが
「財源は限られている」
「どこかに配ればどこかを削るしかない」
と思い込んでしまう。
すると何が起きるか。
本来はそれぞれの地域の正当な要求であるはずのものが、
全部「奪い合い」に見えてしまう。
その結果、
地域の代表が地域のために動くことまで、
どこか後ろめたいもののように扱われる。
私は、この空気にかなり違和感がある。
各地域の利害を国会に持っていく。
それは民主主義の一部だ。
本来なら、そのうえで
国全体としてどう組み立てるか
を考えるのが政治の役割のはずである。
つまり、
- 地域の声を出すことは悪くない
- 地域の利害を代表することも悪くない
- 問題は、それを「有限の取り合い」としか見られない政治認識のほうにある
私はそう思っている。
■本来は「地域をよくする」と「国全体を考える」は両立するはずだ
ここは誤解されたくないので、丁寧に書いておきたい。
私は、
「自分の地域をよくしてください」
ということ自体は、まったく悪いことではないと思っている。
むしろ自然だ。
誰だって、自分の住む地域が住みやすくなってほしい。
仕事がしやすくなってほしい。
交通も医療も教育も、ちゃんとしてほしい。
そんなの当たり前である。
問題は、それを
“他の地域を切ってでもうちへ持ってこい”
という発想でしか語れなくなることだ。
でもそれは、本来の地域代表の役割そのものが悪いのではない。
そうではなく、
財政や政治をめぐる認識のほうが貧しいから、
話がすぐゼロサムに落ちるのだと思う。
本来は、
地域を代表して国会に行く。
そのうえで国全体のことも考える。
これでいいはずだし、
本当はこれこそが国会議員の仕事なのだと思う。
地域代表であることと、
全国民の代表であることは、
本来は二者択一ではないはずだ。
ただ、現実の政治ではこの二つがしばしば雑に混ざる。
そこに、私の違和感がある。
■『茶番選挙』を読むと、このズレがよく見える
『茶番選挙』の面白さは、
単に政治の裏側がドロドロしている、という話ではない。
読んでいると、
候補者選考の混乱や、
人事の都合や、
組織の論理の向こう側に、
もっと根本的な問いが見えてくる。
国会議員とは何者なのか。
地域の代表なのか。
全国民の代表なのか。
あるいは、その両方なのか。
そして、その両方だとするなら、
私たちはその役割をきちんと理解してきたのか。
私はこの本を読みながら、
そこにいちばん引っかかった。
政治の現場は、確かに生々しい。
でも、その生々しさの奥には、
代表とは何かというかなり根本的な問題がある。
だからこの本は、
単なる暴露本として読むより、
民主主義のねじれを考える本として読んだほうが面白いと思う。
■主権者教育については、むしろ違和感はない
なお、主権者教育のくだりについては、
私は今回そこまで違和感はなかった。
むしろ、この本が言っている方向性にはかなり納得している。
実際、文部科学省の調査では、
高校3年生に対する主権者教育は約96%の学校で実施されている一方、
模擬選挙などの実践的な学習活動は約47%、
現実の政治的事象についての話し合い活動は約34%にとどまっている。
つまり、制度の説明は広がっているが、
「考える」「話す」「参加する」の部分はまだ弱い、
という見方は十分成り立つ。Source
さらにOECDは、スウェーデンの学校選挙について、
参加した生徒の約70%が民主主義のプロセスや政治への理解を深め、
約3分の1が次の本番の選挙で投票する動機が高まったと紹介している。Source
なので私としては、
主権者教育のところは「違和感」というより、
むしろその通りだよなと感じた部分に近い。
■まとめ
『茶番選挙』を読んで私がいちばん感じた違和感は、
国会議員を「全国民の代表」と言いながら、
現実には地域から選び、地域の声を託して送り出している、
この構造のほうにあった。
ただし私は、
だから地域代表的な動きをやめるべきだとは思っていない。
むしろ逆だ。
各地域の利害を代表して国会に送り込まれる。
これは民主主義の立派な一部であり、否定されるべきものではない。
問題は、それを
「利権」
「取り合い」
「奪い合い」
としか見られなくなる政治認識のほうだと、私は思っている。
地域をよくしたい。
その声を国政に届けたい。
それ自体は自然だし、正当だ。
そのうえで、国全体をどう組み立てるかを考える。
本来の政治は、そこまでやるべきものだろう。
『茶番選挙』は、候補者選考や政治の裏側を描いた本であると同時に、
民主主義において「代表する」とはどういうことかを考えさせる本でもあった。
私は今回、そこにいちばん強く引っかかった。
そしてたぶん、この違和感は、
この本を読んだあともしばらく残ると思う。
いい意味で、
あとを引く本である。
■書籍リンク
今回の議論のベースになった本はこちらです。
改訂版 茶番選挙
https://a.r10.to/h57hFa
正直、これは一回読んでおいた方がいいです。
選挙に対する見え方が変わります。
■軽く宣伝
関連テーマ?でLINEスタンプも作っています。気になる方はこちら。
▶︎ https://store.line.me/stickershop/product/33537204/ja
■最後に
📺 YouTube
https://www.youtube.com/@レイと申します
📝 ブログ

コメント