高市早苗総理の発言はなぜ揺れて見えるのか
――「消費税減税は悲願」と「レジ改修に時間がかかる」のあいだで
最近どうしても気になっていることがある。
それは、**高市早苗総理の消費税に関する発言の“揺れ”**である。
総裁選の場面では
「消費税減税は悲願だ」
とまで踏み込んだ表現を使う。
しかし、総理の立場になると
「レジシステムを変えるのに時間がかかる」
という実務的な説明に転じる。
もちろん、立場が変われば責任の重さも変わる。
与党の総裁として語る理想と、総理として背負う実務の現実が違うのは理解できる。
だが、それでもなお残る違和感がある。
■「悲願」という言葉の重み
「悲願」という言葉は軽くない。
単なる政策オプションではなく、
強い政治的意志を含む表現だ。
もし本気で悲願であるなら、
技術的困難は突破する対象になるはずだ。
レジ改修に時間がかかる。
システム変更が必要。
事業者負担が発生する。
しかしそれは、
消費税増税のときにも発生した問題である。
税率を上げるときには
POSレジも会計ソフトも改修された。
軽減税率導入時には、複雑なシステム変更も行われた。
ならば、
減税のときだけ「技術的困難」が前面に出るのはなぜなのか。
■総裁と総理の「使い分け」
ここで見えてくるのが、
立場の使い分けという構図だ。
- 総裁として → 支持層に向けて「減税派」アピール
- 総理として → 官僚機構・財務当局への配慮を示す
この二つの言語空間を行き来しているように見える。
特に消費税は、
財務省の影響が強い政策領域である。
減税を明確に打ち出すと、
財源論・市場反応・国際信用といった議論が即座に噴出する。
そのため、
総理の立場では慎重発言にならざるを得ない。
しかし、
それなら最初から「悲願」と言うべきではないのではないか。
■給付付き税額控除という“縛り”
さらに気になるのは、
給付付き税額控除を持ち出したことだ。
給付付き税額控除は、
低所得層に対して税還付や給付を行う仕組みであり、
減税とは別のアプローチである。
これを打ち出した以上、
「単純減税」へ戻るのは政治的に難しくなる。
つまり、
- 減税を訴えた手前、引けない
- 給付付き税額控除を言った手前、単純減税に戻れない
結果として、
発言が宙づりになっているようにも見える。
■なぜ違和感が生まれるのか
有権者が感じる違和感の正体は、
方向性が見えないことにある。
減税するのか。
給付で対応するのか。
それとも現状維持なのか。
政治において方針の修正はあり得る。
状況変化による見直しも当然ある。
しかしそれならば、
「当時はこう考えていたが、今はこう判断する」
と明確に説明すべきだ。
立場が変わったから発言も変わる、
という構図が透けて見えると、
信頼はじわじわ削られていく。
■本当の問題は“減税か否か”ではない
ここで誤解してはいけないのは、
問題は「減税すべきかどうか」ではないということだ。
問題は、
政治的意志が一貫しているのかどうかである。
- 減税を本気で目指すなら、その工程を示すべき
- 実務的に難しいなら、正直に撤回すべき
- 給付で行くなら、その理由を明示すべき
曖昧なままでは、
総裁時代の発言はパフォーマンスだったのではないか、
という疑念を招く。
■立場と責任
総裁は党内政治のトップであり、
総理は国家運営の責任者である。
立場の違いはある。
しかし、政策の方向性まで変わるなら、
それは単なる役割の違いではなく、
政治的優先順位の変化である。
もし本当に減税が悲願であるなら、
「レジが大変だから」という理由は弱い。
逆に、実行困難ならば、
率直にそう言うほうが信頼は残る。
■最後に
高市総理の発言がぶれているのか、
それとも現実対応なのか。
それを判断するのは有権者だ。
ただ一つ言えるのは、
消費税は家計にも企業にも直結する重大政策であるということ。
だからこそ、
- 理想を語る場面
- 実務を語る場面
その間にある溝を、
丁寧に埋める説明責任が必要だ。
立場を使い分けているように見える瞬間、
政治への信頼は確実に削られる。
減税か給付か。
その前にまず必要なのは、
言葉の一貫性ではないだろうか。

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