今日は四谷で火災があり、電車が止まった。
結果、約2時間立ち往生。
正直、疲れた。
朝から仕事に出て、移動して、予定をこなして、
さらに夕方は外国人向けの日本語教室。
明日は初台で仕事。
体力的にもまあまあきつい一日だった。
でも、その「止まった2時間」は、少し面白い体験でもあった。
混雑した電車では、スマホは使えない
電車が止まると人が溢れる。
ホームはぎゅうぎゅう。
車内も身動きが取れない。
こうなるとスマホはほとんど使えない。
・電波が弱い
・手が動かせない
・画面を見るスペースがない
いつもならSNSを見たり、ニュースを読んだり、
何かしら“消費”している時間。
でも今日はそれができなかった。
そして、私はバッグの中の本を取り出した。
紙の本は、電波がいらない
当たり前のことだけれど、
紙の本は電波がいらない。
充電もいらない。
通知も来ない。
広告も出ない。
ただ、開けばそこに文章がある。
混雑の中でも、
ほんの少しの隙間があれば読める。
スマホは“接続”が前提だ。
本は“遮断”が前提だ。
この違いは大きい。
スマホは受動、本は能動
スマホを開くと、情報は勝手に流れてくる。
おすすめ。
トレンド。
炎上。
ショート動画。
こちらが選んでいるつもりで、
実はかなり選ばされている。
一方、本は違う。
ページをめくらない限り進まない。
理解しようとしない限り入ってこない。
つまり、本は能動的な行為だ。
混雑したホームで、
私は久しぶりに「能動的な時間」を過ごしていた。
情報過多の時代に、止まる時間
電車が止まる。
予定が狂う。
イライラする。
でも、その強制停止の時間に
私は思った。
「止まらなければ、読めなかったかもしれない。」
もし電車がスムーズに動いていたら、
私はきっとスマホを見ていた。
ニュースを追い、
誰かの投稿を読み、
気づけば時間が過ぎていたはずだ。
でも今日は違った。
ページをめくりながら、
文章を咀嚼しながら、
自分の頭で考えていた。
書く人間にとって、読む時間は投資
私は最近、ブログを書いている。
昨日は5本書いた。
書くことは楽しい。
でも、書くためには読む必要がある。
読書は消費ではない。
材料の仕込みだ。
今日の2時間は、
ただの“待ち時間”ではなく、
静かな投資時間だった。
スマホが悪いわけじゃない
誤解しないでほしい。
スマホが悪いわけではない。
便利だし、必要だ。
でも、スマホは常に外側に意識を向ける装置だ。
本は内側に意識を向ける装置だ。
今日はその違いを、
身体で感じた。
疲れた日こそ、静かな時間を
正直、今日は疲れている。
でも、不思議と頭は少し澄んでいる。
電車が止まらなければ、
この感覚はなかったかもしれない。
混雑の中で読んだ数十ページが、
今日という一日を少し違うものにした。
情報が溢れる時代に、
強制的に止まる時間があるのは、
もしかしたら悪くない。
そんなことを考えながら、
今これを書いている。
今日はここまで。
明日はまた初台へ向かう。
でも、バッグの中には、
本を一冊入れておこうと思う。

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